CLANNAD(ネタバレ注意)




 KYEより発売されたゲーム、CLANNADについて考察してみたいと思う。
本作品では通常の美少女ゲームと違い各キャラのシナリオにおいて、もちろん恋愛についても語られていたが、どちらかといえば家族愛や友情など恋愛以外の人の心の繋がりが起こすささやかな奇跡が中心に扱われていた。
 
 個別に見ていこう。
 
 渚シナリオは家族の愛が少女の背中を後押しする内容で、確かに恋人の主人公が最後に叫ぶ訳だが、やはり中核にあるのは両親への引け目の解消である。
 
 藤林姉妹のシナリオは本作品の中ではめずらしく、恋愛が中心に扱われているがそれでも姉妹の間の愛情が重要な要素となっている。
 
 ことみシナリオでことみを立ち直らせる上で最も重要な役割を果たすのは主人公であるが、主人公以外の友人達の行動もそれと並列して大きなウェイトを占めている。そしてそもことみのトラウマは両親に関する事であり、それは長い月日を経て辿り着いた両親からのプレゼントによって解決される。
 
 智代シナリオも本作品の中では恋愛中心の話であるが、智代がかつて荒れていた理由は家族であり、智代は既にトラウマから立ち直った人間として登場しているだけで、家族に関するトラウマという点ではことみと共通する。またラストシーンで智代のトラウマを解決した人間である彼女の弟が登場することも家族愛を重視する展開と言えなくもない。
 
 有紀寧シナリオも兄の死によって生じた欠落を兄の友人との関係の中で解消した少女のお話であり、非常に重要である。つまり兄という肉親の欠落を直接的な意味での家族ではない人々によって解消しているのである。これは家族愛の範囲の拡大と取れる。
 
 風子シナリオも主人公との恋愛はあまり語られないシナリオである。風子の姉の結婚を祝福したいという思い、自ら祝福する事の出来ない風子は学校の生徒達にその思いを託し姉の幸せを祝おうとする。有紀寧シナリオ同様、閉じた家族愛ではなく外に広がりうる家族愛の性質を示している。

 
 そして全てのキャラのエンドを見た後アフターストーリーが出現する。
 ここで扱われるのも中心は家族愛で、結婚、出産、渚の死、父との和解と主人公の立ち直り、汐への愛情、と話は続き最後に人と町の思いが奇跡を起こす。
 「町は大きな家族か」「はい。町も人もみんな家族です」
 ここで主人公と渚が語る言葉こそがこのゲームの主題そのものである。
 この町という言葉が行政範囲うんぬんをさす筈はない。ここでの町とは共に生きる人々の集まりとして介するのが妥当であろう、そして現在の社会は自給自足の農村ではない、世界中の人々が繋がりあい、共に生きるグローバル社会である。つまりこの家族の範囲はどこまでも拡大できるものなのである。
 そう、もうお分かりだろう。
 八紘一宇である。
 これこそがこの作品のテーマなのだ。
 かつて大日本帝国はこの言葉を標語に武力によって四方へ進出、進行し、失敗した。
 それに対しこれは人々の心の繋がりという別の方法での新たなアプローチである。
 実に美少女ゲーオタク的な方向である。彼らの保守性と、やさしさや情愛を信奉する性質を体現した思想である。
 CLANNADはKEYの集大成と呼ぶに相応しい名作だ。